夜の声

以前から、よく散歩をしていましたが、出かけられる

場所が 減ってからは、その機会が増えました。

 

密集を避け、早足で歩きます。 

快適な季節なので、夜の散歩も、気分転換にはぴったり

です。

 

闇(やみ)のなかでは、視覚が弱まる分、聴覚が敏感に

なるせいか、気配(けはい)がじかに伝わってきます。

すれちがいざま、耳に飛び込んでくるフレーズが、尾を

引くようです。

 

その声が、ふしぎに軽やかで、はなやいで、いつもより

も楽しそうに感じられるのはなぜか?

 

あたりまえと思い込んでいた「自由」を、限定的である

からこそ、もっと貴重だ、と味わっているのかもしれ

ません。

 

マスク姿もなんのその!

 

海へと続く大通りの街路樹(がいろじゅ)が、鮮やかな

ブルーにライトアップされていました。

コロナウィルス医療従事者へ、感謝とエールを示す動きで、

世界中に広がっているそうです。

 

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            2020.5.17

映画『羊と鋼(はがね)の森』

雨の週末となりました…

 

新学期が始まったばかりの皆さんは、緊張感のなか

に日々を過ごしているかもしれませんが、一息つき

ながら、課題に取り組んでほしいと思います。

 

最近、音声に関するお話をしました。

その流れから、今日は、映画『羊と鋼の森』(2016)を

紹介します。※

 

原作は、宮下奈都(みやしたなつ)の小説で、

全国の書店員が「いちばん売りたい本」として選出する

本屋大賞」を受賞しました。

 

学業を終えたら、向き合わねばならない自分自身の職業

は、早くにみつかり、適応していくひともいますが、

一方で、迷ったり、挫折 (ざせつ)したりしながら、

そこにたどり着くひともいます。

 

この映画の主人公は、後者のタイプといえるでしょう。

 

世界がめまぐるしく転変(てんぺん)する今日、私たちは、

その時々の主流を占める価値観に、影響を受けがちです。

 

それはそれで、個人の自由ではあります。

  

しかし、ひとつの仕事に対する愛情と覚悟があるなら、

ピアノの調律師(ちょうりつし)のような「職人」――芸術

への理解が深い――としての人生を歩(あゆ)むのも幸いな

ことではないかと、映画をみて思わされました。

 

※「TSUTAYA」でのレンタルや、アマゾンプライムビデオ

でみることが できます。

 

日本語の音声:拍(はく)

昨日に続いて、日本語の音声の基本的な法則について

お話しします。

 
 

日本語の音声の拍は、「等拍(とうはく)」です。

つまり、1音、1音が、同じ長さで発音されます。

 
 

これは、日本語を正しく、かつ、きれいに発音するのに

重要な点です。

 
 

しかし、こちらは、高低アクセントよりもシンプルなの

で、理論的には把握しやすいでしょう。

 
 

以下に表した日本語の基本的な音は、すべて「1拍」で、

同じ長さになります。

 

(1)「あ・い・う・え・お」、「ア・イ・ウ・エ・オ

   のような母音(ぼいん)

 
 

(2)「か・き・く・け・こ」、「カ・キ・ク・ケ・コ」

   のような子音と(しいん)母音が組み合わさった音

 

  

(3)「きゃ・きゅ・きょ」、「キャ・キュ・キョ」

   のような大文字と小文字で組み合わされる

   拗音(ようおん) 

 

(4)「う」、「―」のような、前の音を受けて伸ばす

   長音(ちょうおん)

 

 

(5)「っ」、「ッ」のような、前の音の後に小文字で

   書かれる

   促音(そくおん)

 

(6)「ん」「ン」のような、はねる音である

   撥音(はつおん)

 

(1)、(2)が、1拍なのは、自然だと感じられるでしょう。

しかし、2文字からなる(3)や、それだけでは単語として

成立しない(4)、(5)、(6)も、すべて1拍なのです。

 

例)専門学校(せんもんがっこう)6拍

  教科書問題(きょうかしょもんだい)8拍

  インターネットバンキング 12拍

 

外国人学習者の音声には、(4)、(5)、(6)の「1拍」

の長さが足りていない(短い)ことが、よくあります。

 

1拍分が、完全に抜けていたり、「半拍」になっていたり

すると、音が「詰まって」聞こえるので、注意をしましょう。

 

☆彡 拍のポイント

 

・「学校(がっこう)」のように、長音が最後にくるときは、

 gakko ではなく、gakkō(がっこお)と、最後まで1拍分を

 意識して発音する。

 

・撥音の「ん」は、鼻からしっかり息を抜かないと、1拍に

 ならない。

 

・「新幹線(しんかんせん)」のような名詞では、間の「ん」

 と最後の「ん」の長さを、しっかり意識する。

 

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       Metronome (Praha)

日本語の音声:高さ

先日書いたように、母語の干渉や個々人の癖等がある

ため、 音声の指導には、すべての学習者に対応できる

たった一つの方法 がありません。

 

それゆえ、プライベートレッスンのような形態は、

適しているといえますが、個人でも、日本語の音声の

基本的な法則をおさえる ことで、ある程度の自律学習

が可能です。 

 

ブログという形式上、大量の文字数を費やすことはでき

ないため、あえて2点に絞ってお話ししたいと思います。

 

そのうちの1点は、高低アクセントに関するものです。

 

※ただし、標準語を基準にお話しします。

 

[1]高低アクセントの最も基本的な法則は、ことばの

最初の1音目と2音目の高さが,、必ず異なることです。

 

つまり、下→上、もしくは上→下、となります。

無アクセントのような、上→上、下→下、はありません。

 

[2]そして、高低アクセントと呼ばれるものには、

四つの型があります。

 

1.平板型(へいばんがた)  下から上にあがる。

 

2.頭高型(あたまだかがた) 上から下にさがる。 

 

3.中高型(なかだかがた)  下から上にあがり、

               またさがる。

 

4.尾高型(おだかがた)   下から上にあがるが、

               助詞がついたときには、

               さがる。

 

四つの型を練習するときには、活用のない「名詞」から

おこなうのが、わかりやすいです。

  

たとえば、4拍の名詞においては、7割以上が平板型と

いわれています。

 

例)大学、空想、運動、薄味、人工… 

→助詞「が」をつけても、上がったまま。

 

また、若者ことばの影響等で、頭高型の名詞が、平板型に

変化した例は少なくありません。

 

例)ゼミ、ドラマ、バイク

 

※ただし、アナウンサーは、以前のアクセントで発音して

います。

 

1の平板型と2の頭高型は、比較的わかりやすいですが、

3の中高型は、どこで下がるかがポイントです。

 

下がるところを、滝が落ちるのに見立てて「アクセントの

滝(たき)」と呼びます。

 

例)歯科医 し(下)・か(上)・い(下)

 

  湖   み(下)・ず(上)・う(上)・み(下)

 
 

また、4の尾高型は、名詞のままでは、平板型と同じです

が、助詞がついたときには、助詞の前に、アクセントの滝が

あります。

 

例)妹が い(下)・も(上)・う(上)・と(上)・が(下)

 

  心が こ(下)・こ(上)・ろ(上)・が(下)

 

名詞レベル、短い語では、アクセントをおさえやすいですが、

文単位で長くなるにつれ、難易度が上がります。

 

☆彡「高低アクセント」のポイント

 

・型をきちんとおさえる。

・「上がる」、「下がる」を、曖昧でなく、きちんと高さを意識

 して発音すると、きれいに聞こえる。

 

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         Sea Organ (Croatia)

音声の授業

皆さんは、日本語学校や大学で、どのくらい音声の

授業を受けたことがありますか?

 

もし、かなりの時間を割き、音声を教えてもらえた

のなら、その学校は誠実だといえます。

 

ありていにお話しすると、日本語教育のなかで、立ち

遅れているのが、「音声」の分野です。

  

日本語学校など、教育期間が短い場では、どうしても

授業が詰め込み式になることは避けられません。

→しかし、それで「音声」を後回しにしていいという

理由にはならないでしょう。

  

また、「会話」を教えるといっても、自然な速さや

ある程度のなめらかさは教えられても、「正確さ」まで

教えられていないのが現状です。 

→これも教える側の意識の問題ではないか、と考えられ

ます。

 

プライベートレッスンでも、「会話」と称したレッスン

が、正確さの指導を欠いた「フリートーク」のように

なっているのは、遺憾です。

 

これまで、日本語が上級レベルまで進みながら、音声に

ついては、ほとんど教えてもらわなかったという学習者

に、何度も出会いました。

 

最初に、日本語の音声の「基本の法則」を教えますが、

なかにはそういうものが存在するのを知らなかった、

衝撃を受けた、という方もいました。

 

しかし、そこからがすばらしいのです。

皆さん勉強熱心で、それまでの遅れを取り戻さんと

ばかりに猛練習して、ぐんぐん上達していきます。

→自律学習のためのアドバイスもおこなうので。

 

最初は大変でも、マスターするうちに、段々おもしろく

なってくるようです。

 

こちらも熱気に煽られ、発奮します!

 

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   ドラマ『チャンネルはそのまま』より

 

   最近、音声が正しいだけでなく、とても流麗な
   日本語を話す外国人You Tuberの動画をみて
   驚きました。
   彼女は、日本のアナウンス専門学校出身だそう
   です。さすが!

就職、転職に際して

『日本語空間』は、アカデミックジャパニーズの

論述指導に 、一応特化をしていますが、これまで

の縁から、別な依頼を受けることもあります。

 

論文提出の締め切りが近くなると、その関係の依頼

が多くなるので、別件はお断りすることもありますが、

現在は、比較的余裕があるので、話し合ってから

お引き受けすることもあります。

 

以前、大学の卒業論文をサポートした留学生が、就職

を控え、ふたたびサポートをしてほしいと依頼して

きました。

→その後、専門学校に進み、来年卒業の運び。

 

主として、日本語の「音声」の矯正です。

 

文法や文字語彙はともかく、話し方は、学ばないまま

放置してしまったので、正しくないと感じているけれど、

一人ではどうしていいかわからない、ということでした。

 

接客のアルバイト中、「なまってる」といわれたことも

あるそうで、正しくというか、「きれいに話したい」と

希望しています。

 

いわゆる「外国人なまり」には、母語の干渉(かんしょう)

が考えられます。

最終的には慣れと実践ですが、まずは、自国語の音声の
特徴と日本語の音声の特徴の相違点を、おさえる必要が
あるでしょう。
 

ことばにすると当然に思えるかもしれませんが、自国語

感覚で話さず、慣れるまでは、日本語の音声を意識しながら、

話すことが大切です。

 

※今回、上述した学習者の同意を得て、この記事を書いて

います。

 →本文に目を通してもらい、許可を得ました。
 

その方は、自国語を頭の中で翻訳しながら、日本語で

話しており、音声には関心を払ってこなかったため、意味

は通じるけれど、母語の干渉が強いのです。

 

就職活動において、外国人の志望者が、音声が100%完璧

ではないという理由だけで、不採用になることはまずない

でしょう。

しかし、それも程度問題で、あまりにぎくしゃくしていて
は、印象にもかかわってくると思われます。
 

昨年から今年のはじめにかけ、別な外国人の転職活動の

サポートで、音声指導をおこないました。

少なくとも、普段からよく使う表現、自身が属すること
になる業界の用語などは、正しく発音できるよう、
そこからのレッスンとなりました。
 

論述指導は、対面のやりとりだけでなく、原稿とじっくり

向き合います。

対照的に、音声のレッスンは、ライブ感満載です。
スカイプでも問題なくおこなえています。
 

どちらも、趣(おもむ)きは異なれど熱い! ですね

 

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今年のはじめに、中途採用で転職を果たした

外国人男性は、新卒ではないため、スーツと
ネクタイにはこだわったそうです。

活動を開始したのは晩秋だったので、季節感を

考慮して、ネクタイは、カーキがかった濃い

グリーンにしたとのこと。
 就職、転職活動は、時間と経費がかかりますね…

ワンちゃん?

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      仙厓義梵 せんがいぎぼん(1750-1837)『犬図』

 

以前に、外国人の学習者と話していて、相手がふしぎな ことをいう

ので、首をかしげてしまいました。

 

2度ほど「ワンちゃん」といったのですが、犬とは関係ない話だった

 ので…
 

よく聞いてみると「ワンチャン」といいたかったらしいです!

 さて、どういうことでしょう?
 

1「ワンちゃん」は、犬をかわいらしく表現したもの。

 →用例
 どこかの奥様「あらー、お宅のワンちゃん、かわいいですね♡」
 

2「ワンチャン」※は、若者ことば?寄りの俗語

 →用例
 どこかのYou Tuber「おー、ワンチャン行ける!」
 

そうです。

 日本語には、同音異義語が多すぎるので、文字で確認できない
会話では、「高低アクセント」で意味を理解することになります。
 

1のワンちゃんは「頭高型(あたまだかがた)」のアクセント

2のワンチャンは「平板型(へいばんがた)」のアクセント
 

アクセント違いで、勘違いの会話に…

そのときは、説明をすると、相手も大笑いしながら「勉強に
なりました!」といっていましたが。
 

ちなみに、先日書いたTVドラマの『ちゃんぽん食べたか』も、

頭高型で「食べたか」といえば、疑問形になり、

平板型で「食べたか」といえば、「食べたい」の意味、

つまり長崎の方言になります。

 

※「ワンチャン」は「ワンチャンス」の意味。

  可能性があるとき、可能性を見込んだときに使われる。

地元愛と方言(2)

大学院で知り合った関西出身の学生が、あるとき「東京弁

では、そういうかもしれないけれど」といいました。

東京弁? 

聞きなれないことばでしたが、それは私が、東京のことば
を無意識に、標準語と同じように捉えてしまっていたせい
かもしれません。
 

その知人は、卒業したら地元で就職することに決めている

と、きっぱり意思表示をしていました。

彼女は、家庭のなかでは地元のことばを使いながら、外では

標準語も使えるよう、親からしつけられたとのことでした。

 

固有な表現が残っている土地では、ことばと地元愛が一体

のように思えます。

 

昨年、『翔(と)んで埼玉』という映画が話題になりました。

「埼玉県人にはその辺の草でも食わせておけ!」などという
過激なセリフとともに、埼玉を、いわゆるディスる要素が
満載の内容。※1)
 
しかし、当の埼玉県では、関心を持たれたということで、
かえって全面的に歓迎ムードだったようです。
 

この映画をみた元留学生(埼玉県に居住経験あり)から、

おもしろかった! という感想を聞き、私もDVDで

『翔んで埼玉』を鑑賞しました。

まあ、関東に住んでいれば、わかりすぎるくらいわかる

ニッチなネタばかりで、おもしろくないことはないけれど、

気恥ずかしさもあるといったところ。

 

同時に、他の地域のひとがみたら、関東人だけの「内輪受け

(うちわうけ)」でおもしろくない、と批判されるのでは

ないか? とも考えてしまいました。

 

日本に限らず、「格付け(かくづけ)」ということが、

しばしばおこなわれます。

 あまり露骨(ろこつ)なのは、悪趣味かもしれませんが、
遊び心で自虐の ポーズを取ったりしながら、地元や出身地を
格付けする行為は、少なくとも当人たちにとっては楽しそう
です。
 

関東は、大枠(おおわく)で標準語の地域にあたっている

ので、ことばで差がつけにくい分、別なこまかい要素で、

地元や出身地を差異化したい のかもしれませんね。

 

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    映画『翔んで埼玉』より

 

 ※1)実際には、埼玉県が一方的に貶(おとし)
 められるわけでなく、東京及び他県の腹黒
(はらぐろ)い企(たくら)みやセコさが、
 余すところなく? 描かれています。
 やれやれ…

地元愛と方言(1)

「地元(じもと)」といったとき、それは、自身の生活

している 場所、生活圏(せいかつけん)を指しますね。

 

もし、生まれた場所と、現在まで暮らしている場所が

一致するひとは、地元がどこであるかが、自明のごとく

ピッタリしたものなのでしょう。

 

けれども、グローバル化した時代にあり、複数の土地を

移動するひとが多いのも事実です。

そのような場合、定義にはこだわらず、現在住んでいる
場所を「地元」と呼んでもかまわないのではないでしょうか。
 

私自身、今まで何度も引っ越しを経験してきました。

もともと帰属心(きぞくしん)の薄いほうですが、漠然と、

関東に生まれそこで生活してきた人間という自覚はあります。

 

「地元」を市や町、「出身」をそれらを含む地域や県とする

と、「地方」である関東は、より範囲が広くなるので、特別

な感じ がしないのかもしれません。

 

そんな私が、自分自身の話すことばをつよく意識させられる

 機会が、何度かありました。

それは、大学院に入ってから、フィールドワークと資料収集

のため、他の地方に出かけたときのことです。

 

その土地の人の話すことばが、自分が使ってきた日本語とは、

まったく感触(かんしょく)の異なる日本語であったため、
じわじわと衝撃がひろがったのでした。
 

具体的な相違点は、「イントネーション」と「文末」です。

そこで聞いた日本語は、音楽のように上がったり下がったり
が多く、フレーズの最後の最後まで、エモーショナルな抑揚

(よくよう)がついていたので。

 

違和感よりも、心地(ここち)よさがまさり、いつまでも

聞いていたい気持ちにさせられました。

 

反対に、私が話す日本語は、平板(へいばん)で、どこか

 よそよそしく、「です・ます」の文末が、無機的に響いて
いる気がして、落ち着かなくなったのです。
 

現在、標準語または共通語と呼ばれている日本語は、近代に

 国語を統一するため、創出されました。
 

それは、意思の疎通(そつう)には合理的で、共同でひとつ

の物事をまとめたりするのには、適しています。

 

しかし、一方で、人工的な共有の過程において、ことばは、

 漂白され、脱臭されたともいえるのでしょう。
 

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   菅田将暉(すだまさき)主演のNHKドラマ

      『ちゃんぽん食べたか』より。
 
   時代設定は1960年~70年代。
   長崎県出身の主人公が、口にするセリフ
  「ちゃんぽん食べたか!」は、“ちゃんぽんを
  食べたか?”ではなく“ちゃんぽんを食べたい”

という意味の方言。

蘭学(らんがく)・写真・カステラ

以前に紹介した映画『合葬』のなかで、主人公の一人・

悌二郎(ていじろう)は、「長崎帰り(ながさきがえり)」

という設定。

1868年当時、新しい学問を身につけたインテリといえます。
 

鎖国体制が敷かれた江戸時代にも、長崎は、公的には唯一、

外国へと開かれた窓でした。

ただし、1639年以来、そこで許された貿易の相手国は、

オランダ※1)と中国に限られることとなります。

 

そのような経緯から、江戸時代には「蘭学」--「蘭」は

オランダの意味――が、隆盛(りゅうせい)しました。

日本人が、歴史の授業でその名を学ぶ『蘭学事始(らんがく

ことはじめ)』という本には、オランダの医学書を日本語に

翻訳する苦心が、語られ ています。

 

同様に、さまざまな精密機器(せいみつきき)が、長崎を

通じ、日本へと入ってきました。

たとえばカメラは、フランスで銀板写真(ぎんばんしゃしん)
が発明された4年後の1843年、長崎にもたらされています。

蘭学者を父に、長崎で生まれた上野彦馬(うえのひこま)は、

オランダの軍医から化学を学び、写真師のパイオニアとなり

ました。

 

さらに、食文化の面でも、長崎では外国のものを日本風に

アレンジし、定着させていいます。

 

なかでも名物として知られる「カステラ」は、、16世紀に

ポルトガルから伝わった菓子を、日本風にアレンジしたもの

です。

 

修学旅行で長崎を訪れたとき、カステラの工場を見学しま

した。

試食をさせてもらいましたが、育ち盛りの高校生は、

「うまい!」と遠慮も何もなくパクついていたと思います…

 

長崎には、カステラ店がたくさんあり、人気の店は、半年も

予約待ちの状況だそうです。

いちばん古い店は、なんと1624年の創業!

つまり、鎖国以前からの伝統を継承していることになります。

 

※1)その前に起きた「島原の乱」(1637-38)は、日本の

カトリック教徒による大規模な反乱で、鎖国の要因となった。

オランダは、プロテスタント国だったので、スペインや

ポルトガルのようには警戒されず、貿易が許された。

 

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カステラには、ザラメという種類の砂糖

(表面の結晶)と、良質の卵黄がたっぷり

使ってあります。

バターを使ったボリュームのあるケーキ

より、ほのかに甘くやさしい味です。

(仮想)旅へのいざない

地震に、雨、雷と、何だか昨日から暗いので、今日は趣向

を変えたお話をしましょう。

 

現在は、残念ながら旅行自体が不可能ですが、文章の終わり

に、ネット上で、旅の雰囲気だけでも味わってもらえれば

と思います。

 

最近、日本の近代とキリスト教について記しました。

 

日本の開国は、アメリカと深くかかわっていたこともあり、

近代の開港地 では「プロテスタント」を中心に、布教

(ふきょう)がおこなわれます。

 

それ以前、日本にキリスト教が伝えられたのは1549年。

所属)が、鹿児島 に上陸したのが契機でした。
 

以後、日本におけるキリスト教は、相当な勢いを増し、

大名(だいみょう)のなかにも信者を生みました。

しかし、1587年に出された禁教令以来、キリスト教信者は
迫害されることとなります。
 

幕府は、苛酷(かこく)な弾圧をおこない、ひそかに信仰

しているのが見つかると拷問(ごうもん)され、多くの信者

が殉教(じゅんきょう)しました。

 

それでは、日本のキリスト教信者は、全員が棄教(ききょう)

したのでしょうか?

 

実は、一部の信者は、信仰の形態を日本風に変え、秘密裏

(ひみつり)に信仰を続けたのです。

なかでも九州、特に多数の島を有する長崎は、カトリック
縁が深く、潜伏(せんぷく)には都合のよい地理的条件を
備えていました。
 

長崎にある「大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)」は、

1597年に殉教した26人に捧げるため、開港後の1864年

フランス人神父(しんぷ)に よって建てられました。

 翌1865年、隠れ続けていた日本人のクリスチャンたちが、
大浦天主堂」 にやってきて、プティジャン神父に信仰告白
をおこないます。
 

何と260年以上の時を経た歴史的な瞬間でした。

 

私は、高校がキリスト教系だったので、修学旅行で長崎を

訪れる機会を持ちました。

特に印象的だったのは「五島列島(ごとうれっとう)」です。
何か洗い立てのような美しさで、当時の私は、そこが日本だと
は実感できませんでした。
 

ゼミ選び(3)

先日、大学や大学院、専門の異なり超え、ゼミの先生

には「人間性」を重視したいと書きました。

 
しかし、具体的に、それは何を指すのでしょうか? 

 

大学以上を、高等の教育機関と捉えるとき、現実的な

事情はさておいて、導き出されるのは「専門教育」の

使命です。

 

つまり、ゼミを選ぶ基準として、その先生が、専門の

「研究者を育てる意思がある」かどうか、が問われます。
 

たとえば、自身の研究の専門、テーマに近いA先生と

B先生がいて、どちらにするか迷ったとします。

その場合、選ぶべきは「研究者を育てる意思がある」ほう

の先生だといえます。

 

あたりまえのようでありながら、これ以上大切な要素は

ないといってよいでしょう。
 

私自身は、「ゼミジプシー」といってよいほど、修士課程

から博士課程にかけ、いくつものゼミを転々としました。

学際的であったり、先人が手をつけていない領域に進もう

としたりする場合には、起こりうる事象です。

 

短所としては、先生とでも専門的な話ができない点、

 (→結局、頼れるのは自分自身になります)
 長所としては、研究の自由度が認められる点、
 (→無論、そうであっても、きちんと論証がおこなえること
   が基本です)
 が、ありました。
 

そして、ここからが大切なのですが、リファレンスを多く

持つ先生は、専門分野が異なっていても、根本において

的確なアドバイス――自身では内側からは気づかない――

をくださったのです。

 

指導経験が浅くても、意識が高く、猛勉強していらっしゃる

先生は、それをおこなうことが可能かもしれません。

反対に、ベテランであり、長年(ながねん)、誠実に学生と

向き合ってこられた先生は、専門を超えて、一人一人の学生

の資質を見抜く慧眼(けいがん)をお持ちです。

 
それは、樹齢(じゅれい)を経た木の「年輪(ねんりん)」
 のようでもあります。
 私は、その大木(たいぼく)の下(もと)で、まがりなりにも
 独り立ちできるようにさせていただきました。
 

今でも、研究の節目(ふしめ)節目に、思い出すのは、

きわめて有用でありながら、慈(いつく)しみに満ちた
そのことばなのです。
 

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  事務所近くの坂を上がったところに、公園が

  あるのを最近みつけました。
  大きなタブノキがそびえていました。

  その下には名も知らない小さな木が…

ゼミ選び(2)

 

昨日に続き、あえて気兼ねせずに、思ったことを書きます。

 

以前にくらべれば、日本の大学や大学院において、留学生

へのケアやサポートは充実してきたといえます。

しかし、外国の大学の国際性に鑑(かんが)みれば、まだ
まだですね。
 

日本人学生、外国人学生に関係なく、ゼミの先生は、親切

であるのに越したことはありません。

 

しかし、留学生だからこそ、ゼミ選びにおいて特に大切なの

は、担当教員の「人間性」だと考えられます。

 

いくら卓越した研究能力を持っていても、指導そのものが

的確でも、最終的に頼れるのは誠実な先生でしょう。

 相性というのもありますが、ニュートラルな見地から、
その先生自身の人間性がもっと重要です。
 

以前に、学位論文のサポートをした留学生から直接聞いた話

で、残念だったのは、ゼミの担当教員による論文の指導放棄

でした。

文字に表すと衝撃的ですが…
 

レポートと異なり、最低でも2万の文字数からなる論文を、

それなりの質をもって完成させるのは、日本人でも容易では

ないのに。

 

大学3年以上、さらに大学院生ともなれば、留学生であって

も、勉学上の一定の自律が暗黙の裡(うち)にもとめられて

はいます。

しかし、それが建前であっても、外国人学生を日本人学生と

まったく同様に扱うのは、不人情だといわねばなりません。

 
それとは対照的に、やはり留学生から聞いた心温まる話は、
ゼミの担当教員が、卒業間近の余裕がない時期に、寛容な
態度で接してくれたというものです。

→断言はできませんが、事務的な一応の取り決めも、場合に

よっては教授の一言で、融通(ゆうずう)してもらえること

があります。

 

いずれにしても、日本で留学生活を送る皆さんにとって、

将来の就職や進路にかかわるゼミが、意義あるものになる

ことを願ってやみません。

 

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       安藤忠雄 設計『光の教会

 

    安藤氏は、高校時代にボクサーとして
    デビュー。建築は独学でまなぶという
    異色の経歴の持ち主で、東京大学
    教授も務めました。

ゼミ選び(1)

ゼミを選ぶときには、いくつかの観点があります。

 

まずは、自身の専門、研究テーマが、ゼミの先生と

重なること。

大学卒業以降も、専門性の高い分野での就職や、さらに
研究者としての独り立ちを目指すひとには重要な点です。
 

特に大学院の場合、専門分野が絞られてきますから、

よい先生に巡り合えるかどうかは、研究にとっての死活

問題となります。

 

ただし、留意したいのは、先生との距離の取り方です。

 
遠慮しすぎるのもよくありませんが、距離が近くなりすぎて

身動きが取れなくなるのも、また考えものです。

そのような結果、テーマが似通ってしまったり、「異論」

を許容してもらえなくなったりする、といったケースも

あります。

 

やや唐突ですが、ここで、話しにくいことをあえて書きます。

大学、大学院の教員には、教育者と研究者というふたつの
顔があります。
けれども、そこに務めて報酬を得る以上、あくまで優先
される べきは、教育者としての立場です。
 

ことばをかえれば、大学の教員として教えていても、

皆が皆、研究の方面で第一線の活躍をしているわけではあり

ません。

 

学校では、教える仕事の他に、多量のペーパーワークや事務

をこなさねばならず、授業の準備や後処理もあります。

その他、教員や研究者、学生とのつきあい等に費やされる

時間を除いて、研究の時間を確保するのは至難のわざです。

 

それでも第一線で活躍している先生は、かなり精力的で、

研究者としての意識が高いといえます。

 

一方、大学で、ある先生のゼミに入ることで一生が決まる、

というような話には、真実味があります。

たとえば、経済界に太いパイプを持つ先生のゼミに属し、

優秀な成績を収め、気に入られる。

そうして有名企業に推薦してもらい、定年退職までを勤め

上げる、というのも、めずらしい話ではありません。

 

また逆の発想で、大学を卒業したら、大学院に進むつもりは

なく「ゼミの負担を減らしたい」という学生もいますね。

 そのような場合、先生と自身の専門性を、徹底的にすり
合わせる必要はないでしょう。
 

このタイプのひとには、学生の個人的な事情を汲んでくれる

寛容な性格の先生が、向いているのではないかと思われます。

 

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      海を渡る蝶「アサギマダラ」

   浅葱(あさぎ)は、緑がかった明るい水色で、
  まだらは、色の濃淡や、色が混じり合っている
  ようすです。

4月の終わりに

例年と打って変わり、混沌(こんとん)としたなか、誰も

 が手探りのようにして過ごした4月も、今日で終わります。
 

カレンダーではゴールデンウィークの最中ですが、

大学や大学院に在籍する皆さんは、のんびりした休みと
は関係なく、毎日を送っているのではないでしょうか。
 

コロナウィルスの感染者は、いったん減りましたが、この

 連休中をどう過ごすかが、社会全体に反映されてきますね。
 

引き続き、静謐(せいひつ)な室内の時間を、有効に使い

ましょう!
 

さて、仕事が閑散期のため、私は、研究の方に比重を置いて

いました。
しかし、ポツポツと動きがあり、昨日も新規の学習者に、

カウンセリングをおこないました。

至急レッスンをはじめたいという希望で、早速今日からの

スタートに。

 

コロナ禍(か)は、社会に、深刻なダメージをもたらしました。

しかし、同時に、限りある状況のなかで工夫する術(すべ)

を、私たちに考えさせてくれたようです。

 

対面が当然であったレッスンも、スカイプでおこなうこと

に、今のところ問題はありません。

むしろ、移動時間がなくなった分、スリム化が図れるのは
好ましいと感じます。
 

ただし私自身は、今まで以上に、「伝える」ということを

意識しています。

毎回、気持ちを引き締め、画面に向かいます。
 

4月の終わりに、あたらしい風が吹いてきました。

困難を知恵で乗り切り、果敢(かかん)に進みましょう!
 

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    たんぽぽ、タンポポ、蒲公英…

      同じ植物を指すのに、文字の印象はだいぶ

     ちがいますね。

      日本人は「使い分け」が好き、とはいえます。