蘭学(らんがく)・写真・カステラ

以前に紹介した映画『合葬』のなかで、主人公の一人・

悌二郎(ていじろう)は、「長崎帰り(ながさきがえり)」

という設定。

1868年当時、新しい学問を身につけたインテリといえます。
 

鎖国体制が敷かれた江戸時代にも、長崎は、公的には唯一、

外国へと開かれた窓でした。

ただし、1639年以来、そこで許された貿易の相手国は、

オランダ※1)と中国に限られることとなります。

 

そのような経緯から、江戸時代には「蘭学」--「蘭」は

オランダの意味――が、隆盛(りゅうせい)しました。

日本人が、歴史の授業でその名を学ぶ『蘭学事始(らんがく

ことはじめ)』という本には、オランダの医学書を日本語に

翻訳する苦心が、語られ ています。

 

同様に、さまざまな精密機器(せいみつきき)が、長崎を

通じ、日本へと入ってきました。

たとえばカメラは、フランスで銀板写真(ぎんばんしゃしん)
が発明された4年後の1843年、長崎にもたらされています。

蘭学者を父に、長崎で生まれた上野彦馬(うえのひこま)は、

オランダの軍医から化学を学び、写真師のパイオニアとなり

ました。

 

さらに、食文化の面でも、長崎では外国のものを日本風に

アレンジし、定着させていいます。

 

なかでも名物として知られる「カステラ」は、、16世紀に

ポルトガルから伝わった菓子を、日本風にアレンジしたもの

です。

 

修学旅行で長崎を訪れたとき、カステラの工場を見学しま

した。

試食をさせてもらいましたが、育ち盛りの高校生は、

「うまい!」と遠慮も何もなくパクついていたと思います…

 

長崎には、カステラ店がたくさんあり、人気の店は、半年も

予約待ちの状況だそうです。

いちばん古い店は、なんと1624年の創業!

つまり、鎖国以前からの伝統を継承していることになります。

 

※1)その前に起きた「島原の乱」(1637-38)は、日本の

カトリック教徒による大規模な反乱で、鎖国の要因となった。

オランダは、プロテスタント国だったので、スペインや

ポルトガルのようには警戒されず、貿易が許された。

 

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カステラには、ザラメという種類の砂糖

(表面の結晶)と、良質の卵黄がたっぷり

使ってあります。

バターを使ったボリュームのあるケーキ

より、ほのかに甘くやさしい味です。