(仮想)旅へのいざない

地震に、雨、雷と、何だか昨日から暗いので、今日は趣向

を変えたお話をしましょう。

 

現在は、残念ながら旅行自体が不可能ですが、文章の終わり

に、ネット上で、旅の雰囲気だけでも味わってもらえれば

と思います。

 

最近、日本の近代とキリスト教について記しました。

 

日本の開国は、アメリカと深くかかわっていたこともあり、

近代の開港地 では「プロテスタント」を中心に、布教

(ふきょう)がおこなわれます。

 

それ以前、日本にキリスト教が伝えられたのは1549年。

所属)が、鹿児島 に上陸したのが契機でした。
 

以後、日本におけるキリスト教は、相当な勢いを増し、

大名(だいみょう)のなかにも信者を生みました。

しかし、1587年に出された禁教令以来、キリスト教信者は
迫害されることとなります。
 

幕府は、苛酷(かこく)な弾圧をおこない、ひそかに信仰

しているのが見つかると拷問(ごうもん)され、多くの信者

が殉教(じゅんきょう)しました。

 

それでは、日本のキリスト教信者は、全員が棄教(ききょう)

したのでしょうか?

 

実は、一部の信者は、信仰の形態を日本風に変え、秘密裏

(ひみつり)に信仰を続けたのです。

なかでも九州、特に多数の島を有する長崎は、カトリック
縁が深く、潜伏(せんぷく)には都合のよい地理的条件を
備えていました。
 

長崎にある「大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)」は、

1597年に殉教した26人に捧げるため、開港後の1864年

フランス人神父(しんぷ)に よって建てられました。

 翌1865年、隠れ続けていた日本人のクリスチャンたちが、
大浦天主堂」 にやってきて、プティジャン神父に信仰告白
をおこないます。
 

何と260年以上の時を経た歴史的な瞬間でした。

 

私は、高校がキリスト教系だったので、修学旅行で長崎を

訪れる機会を持ちました。

特に印象的だったのは「五島列島(ごとうれっとう)」です。
何か洗い立てのような美しさで、当時の私は、そこが日本だと
は実感できませんでした。