ゼミ選び(3)

先日、大学や大学院、専門の異なり超え、ゼミの先生

には「人間性」を重視したいと書きました。

 
しかし、具体的に、それは何を指すのでしょうか? 

 

大学以上を、高等の教育機関と捉えるとき、現実的な

事情はさておいて、導き出されるのは「専門教育」の

使命です。

 

つまり、ゼミを選ぶ基準として、その先生が、専門の

「研究者を育てる意思がある」かどうか、が問われます。
 

たとえば、自身の研究の専門、テーマに近いA先生と

B先生がいて、どちらにするか迷ったとします。

その場合、選ぶべきは「研究者を育てる意思がある」ほう

の先生だといえます。

 

あたりまえのようでありながら、これ以上大切な要素は

ないといってよいでしょう。
 

私自身は、「ゼミジプシー」といってよいほど、修士課程

から博士課程にかけ、いくつものゼミを転々としました。

学際的であったり、先人が手をつけていない領域に進もう

としたりする場合には、起こりうる事象です。

 

短所としては、先生とでも専門的な話ができない点、

 (→結局、頼れるのは自分自身になります)
 長所としては、研究の自由度が認められる点、
 (→無論、そうであっても、きちんと論証がおこなえること
   が基本です)
 が、ありました。
 

そして、ここからが大切なのですが、リファレンスを多く

持つ先生は、専門分野が異なっていても、根本において

的確なアドバイス――自身では内側からは気づかない――

をくださったのです。

 

指導経験が浅くても、意識が高く、猛勉強していらっしゃる

先生は、それをおこなうことが可能かもしれません。

反対に、ベテランであり、長年(ながねん)、誠実に学生と

向き合ってこられた先生は、専門を超えて、一人一人の学生

の資質を見抜く慧眼(けいがん)をお持ちです。

 
それは、樹齢(じゅれい)を経た木の「年輪(ねんりん)」
 のようでもあります。
 私は、その大木(たいぼく)の下(もと)で、まがりなりにも
 独り立ちできるようにさせていただきました。
 

今でも、研究の節目(ふしめ)節目に、思い出すのは、

きわめて有用でありながら、慈(いつく)しみに満ちた
そのことばなのです。
 

https://static.wixstatic.com/media/b1b4ec_e58342ec7a3a49d5b136b00175364fc6~mv2.jpeg/v1/fill/w_450,h_338,al_c,q_90,usm_0.66_1.00_0.01/b1b4ec_e58342ec7a3a49d5b136b00175364fc6~mv2.webp

  事務所近くの坂を上がったところに、公園が

  あるのを最近みつけました。
  大きなタブノキがそびえていました。

  その下には名も知らない小さな木が…