文体の手触(てざわ)り

書く人間の数だけ文体がある、といえば、語弊

(ごへい)があるかもしれませんが。

 

文章を読むときには、その書き手の背後にある

ものが、浮かび上がります。

 

昨日からお話ししている「新書」に、例をとっても、

そのようすは、明らかです。

 

『日本語空間』で、現在、レッスンに使用している

2冊の新書は、大枠では理系ですが、分野は、「生物学」

と「情報工学」に分かれます。

 

筆者は、どちらも現役の大学教授。

 

出版社を問わず、新書の性格には、手軽に読める教養書、

ソフトな啓蒙書(けいもうしょ)といった側面があります。

 

それは、この2冊にも共通しています。

 

ただし、前者のほうが、いわば文学的な修辞がちりばめ

られているのに対し、後者のほうは、ドライなタッチの文章。

→いずれにしても、手に取る日本人は、特に文学的だとか、

ドライだとかは意識せず、自然に読み進めるでしょう。

 

各々の文体は、専門分野と個人の資質が交わるところに、

成り立っているともいえます。

 

その相違は、実に興味深いです。

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    日本経済新聞(2020.5.25)の記事より