女性医師の嘆き

「リケジョ」とは、俗語ではありながら、「理系女子」を

肯定的に 捉える形容詞です。

 

三者から、揶揄的(やゆてき)にそう呼ばれるのでなく、

就職指南の書籍やサイトで、積極的に使用されていること

からも、この語は、定着した感があります。

 

しかし、現在では、顧みられる機会がないものの、ここに

至るまでには長い道のりがありました。

 

昨日、写真をアップした近代日本における女性医師の先駆者

(せんくしゃ)・荻野吟子(おぎのぎんこ)は、140年前に

嘆いています。 

 

男子学生に混じり、優秀な成績で、医学を修めたものの、

「女性である」という理由で、国家試験を受けさせてもらえ

ない。

  

彼女は、東京府に、受験資格を要請しながら、二度却下され、

さらに出身地の埼玉県に、同様な要請をおこない、却下され

ます。

 

荻野は、そのころの心情を、後年(こうねん)に回想します。

 

「親戚朋友嘲罵は一度び予※に向かって湧ぬ。進退是れ谷まり

百術総て尽きぬ」。

 

「肉落ち骨枯れて心神いよいよ激昂す」。

 

以下は、現代語訳です。

 

「私に向けられた親戚、親友による嘲笑(ちょうしょう)、

罵倒(ばとう)は、いったん沸き上がった。前後の動きを封じ

られ、すべての策は尽きてしまった」。

 

「私の体は、消耗し果(は)てたが、精神は、一層、激しく

燃え上がる」。

 

このような態度を、四字熟語で

「悲憤慷慨(ひふんこうがい)」と、形容します。 

古風に響くかもしれませんが、現在にも残っている表現です。

 

近代における「リケジョ」の先駆者は、才能や努力によっても

克服しえない性別の壁に、行く手を阻(はば)まれます。

 

しかし、予(=私)という自称からは、嘆きとともに、

ジェンダーを超え、使命に燃える人間の自負が、伝わってくる

のです。

 
 

※荻野吟子は、幕末(江戸時代)の生まれです。

 近世には、女性の自称に「わらわ」がありました。

 漢字では「妾」とも書くので、今の感覚では違和感が

 ありますが…

 自分をへりくだって称する「わらわ」に対し、

「予(よ)」、 または「余(よ)」は、近代の知識人

(主として男性)が、もちいたものです。

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