出(で)だしの一行

建築家の槇文彦(まきふみひこ)氏は、21世紀の今日、

歴史的な「時間」軸(じかんじく)よりも、「空間」

が意識されている、と語っています。

 

われわれは、過去の時代のように、同じ時代の、同じ船

に乗り合わせているという感覚を、もはや持たない。

そうではなく、各人が、大海原(おおうなばら)に

「漂(ただよ)っている」のだと。

 

とはいえ、そのバラバラな中にも、潮流は見出せるはず

で、そのひとつを「共感としてのヒューマニズム」である、

と指摘します。

  

たとえば、「これで安心して死ねます」と、市民がいえる

ような葬祭場(そうさいじょう)を、設計するとき。

 

建築家は、その「出だしの一行」から、全体を紡(つむ)ぎ

だしていかねばならない。

 

槇氏はまた、別な場所で、「書くこと」と「つくること」を、

同じ思考の原点を分かちあう、と述べています。

 

書くという行為は、基本的には、ひとりの作業です。

単に書くことは、出だしの一行のあとにも、平面に書きつけて

いけばよいわけで、立体をつくることよりは、自由度が高い

ともいえます。

  

かたや建築は、建築家が、出だしの一行を記しても、それ以降

さまざまに異なる意思の介入があります。

 

しかし、その不自由さを意識しながら、人間と空間の望ましい

あり方を追求してやまない建築から、創造としての書く行為

が学ぶことは尽きないようです。

  

※テキスト

 槇文彦『漂うモダニズム』左右社(2013)
 

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     槇文彦 設計『風の丘葬斎場』