「推敲(すいこう)」の話

推敲(すいこう)――それは、文章を書いて他人に

見せる際、特に重要でありながら、最も基本的な行為

です。

 

学校などの機関では、論述指導と称して、フォーマット

的な部分は教えてくれますね。

 

しかし、推敲について、力説する教員は――遺憾ながら

――多くはないようです。

 

そこで、今日は、念入りな「推敲」なくして評価を得ら

れる論述はない! と断言させてもらいます。

  

たとえば、一口に文章といっても、備忘録(びぼうろく)

や簡単なメモの表現力を、高める必要はありません。

なぜなら、それらは自分が読んでわかればよいものだから。

 

一方で、どこかに提出する論述は、自分ではなく、それを

読む「相手」が理解できるよう、「説得力」を持って書か

ねばならない。

 

これは、当然だけれども、容易ではない点です。

 

たとえば、成績評価にかかわるレポートを読むのは、担当

教員1人でしょうが、学位論文や投稿論文は、複数の審査員

が目を通します。

 

そのような場では、推敲を経ない文章は、いかに内容がよく

とも、最後まで読んでもらえないかもしれません。

 

これまで、締め切り直前になり、自分ひとりではどうする

こともできず、飛び込みのように依頼してきた留学生の論文

を、何度もサポートしました。

 

ケースバイケースなので、一括(ひとくく)りにはできま

せんが、基本の作業は、一刻も早く、いったん最後まで書き

終わらせてから、「推敲」に入る、という流れです。

  

デッドラインをこちらで変えることはできません。

 

しかし、ぎりぎりまで、可能な限り、推敲を繰り返して、

文章の完成度を上げていくのです。

 

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       「推敲」の由来

 

 唐の詩人・賈島(かとう)が、自分の作品で

「僧は推す月下の門」にするか「僧は敲く月下の門」

 にするか、非常に迷った、という故事(こじ)に

 よるもの。

 現在、日本語では「押(お)す」、「叩(たた)く」
 の漢字が使われているため、わかりにくいですが。